始まりは、「なんで怒らないの?」の一言。

始まりは、「なんで怒らないの?」の一言。

私は、サウナが好き。

夜にテレビ東京系のドラマ「サ道」という、登場人物がただサウナに入るだけのドラマを見て影響され、翌朝一番でサウナに行くぐらいには好きだ。
サウナは、自分の弱さに向き合う時間と言っていい。

自分が設定した目標時間の前に訪れる限界。

その中で始まる「続けるか、出るか」の葛藤。葛藤が生まれる自分の弱い心を感じながら、達成感を求めて闘い続ける。

闘いが終わった後にもたらされる水風呂という名の至極。

身体の熱が自分に薄い膜をつくっているかのような不思議な感覚の中、呼気の温度が下がるのを感じつつ、体温を冷やす。

この繰り返しの中で、ただサウナの環境に集中し、頭の中が静まり返っていく快感。

この快感を約1時間程で得ることができるのだから、容易いものである。

しかし、一つだけ気がかりなことがある。最近、妙に心拍数が高い。

通常時100食後120。そう。私は命がけでサウナに行っているのである。

サウナで心臓が鍛えられ、心拍数が落ち着くことを願って。

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思い出すと、妙に心拍数が高まるような嫌な思いで誰にでもあるもの。

私は過去の経験から、「支援に怒りは必要ない」という立場を貫いている。以前には、支援に怒りが不必要である理由をくどくどと書き、記事にもしている(下記参照)。

5年ほど前、私は自ら作り出した「二次感情」としての怒りで利用者を傷つけた経験が今も忘れられない。

障がい福祉の世界に身を置いてまだ半年程だったあの頃、まだ25歳だった私のもとをよく訪れた利用者がいた。

彼は私と歳が近く、相談に来所しては相談はそこそこに雑談をしていた。好きなアニメや芸能人、最近見た映画やドラマなど。彼は私との雑談を楽しみにしてれていたのだろう。

彼はすぐ周りの人を悪く言ってしまう嫌いがあった。彼の悪口は口火を切ると留まることを知らない。

それでも当時の私は、「まぁ、自分も悪口を表に出さないだけで溜め込んでいるだけだからなぁ」「彼はとても素直で、もやもやを吐き出したいんだなぁ」ぐらいに思っていた。

そんな彼がある日、就労支援サービス事業所を利用したいという相談に来た。
私は彼が事業所を短期間で転々としていたことを他から聞いていたため、「まず3か月、継続しましょう」と話した。

彼がそこで「はい」とは言わなかったことはよく覚えているし、ましてや頑張る期間なんて支援する側が押し付けるものじゃないことは、今ならよくわかる。

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3週間ほど経つと、彼は「納得できないことが多い」「退所したい」と話すようになる。事業所に対しての不信感が大きく、不満を抱えている様子だった。その時は話をすることで全ては解決しないまでも落ち着いた様子で帰っていった。

そんな彼と私の面談の様子を立ち聞きしていた先輩支援者が、面談後に私のもとを訪れて「なぜ怒らないのか?」とまくし立てた。

先輩支援者は、彼と私が「3か月利用する約束をしたのだから、3か月になる前に『辞めたい』って言ったら『約束と違う』と言って怒るべきなんだ」と私に話す。

約束を守ることが社会のルールであり、彼を抑止する必要があるとのこと。それが彼のためなんだと。

私は、彼が「辞めたい」ということに特に怒っていなかったし、3か月利用する約束をしたつもりもなかった。彼も約束をしたつもりも無かったと思うので、とてつもない違和感に悩んだが「先輩支援者がそう言うなら、ちゃんと怒らなければならない」という気持ちになった。

そう。当時、彼に全く怒りが無かったのに怒りをぶつけるという、人権侵害もはなはだしい行為を敢行したのである。

あの当時は考えなかったが、今だから思う。あの時の私の創作した怒りを、彼はどんな思いで聞いていたんだろう。

翌日、行政から連絡があった。それはそうだ。内容は「彼を責める必要はあったのか」というもの。質問は的を射ていた。責める必要は全くなかったのだから。

このことを職場に報告した。先輩支援者は「彼が悪いのよ」「常識を分かっていない」と話した。常識が分かっていないのは先輩の方だったと気づいた頃には遅かった。

彼は地域の中でも繋がりが少なくて、話せる数少ない相手ができたのに、その相手から言われも無い理由で怒りをぶつけられたわけだ。どんな気持ちだったのか。

もちろんそれ以来、彼は私のもとを訪れることは無かった。
あの時の、利用者を他人の言葉だけで簡単に裏切る軽薄さ。今思い返しても心拍数が上がるようである。

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私はこの経験をきっかけに、「結局、正しい支援とは何なのか」を考えるようになった。その翌年には、福祉系通信大学に編入学し、社会福祉士・精神保健福祉士を取得した。

今でも思う、「支援者は十人十色でいい」とか「自分らしい支援をしたい」なんて利用者を置き去りにした支援者主体の支援を平然と言葉にする支援者を、私は信じない。

「支援に正解は無い」を強調する奴もそうだ。支援には虐待等を代表とする不正解が存在するのだから、正解の広さを主張する前に「不正解」と向き合えよ、と。

改めて言いたい。支援者が利用者に怒りを表出する行為は、なんのプラスにもならない。世の中には「福祉は感情労働だ」なんていって利用者と感情をぶつけ合うことを善とする支援者も存在する。

しかし、福祉が感情労働と言われるのは「自分の感情をアレンジしながら相手の感情に働きかける」ってことであって、利用者に支援者の感情をぶつけるなど言語道断である。

私たち支援者の仕事は、相手を自分の言うとおりに動かすことではない。
その人の、その人らしさに関わることなのだから。

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