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障害者アート・推進法 普及が難しい3つの原因

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平成30年7月5日。障害者文化芸術活動推進法が衆議院本議会の全会一致で可決となった。

障がいを抱える方々が作成する、いわゆる「障害者アート」が、その創造性の高さから海外では注目を集める風潮が生まれている。障害者文化芸術活動推進法は、日本も海外の取り組みに倣い、国内外での障害者アートの普及を目指すことを目的としている。

 

www.fukushishimbun.co.jp

 

私はこの「障害者アート」というジャンルや「障害者文化芸術活動推進法」の成立に疑問を抱いている

もちろんではあるが、決して障害者アートそのものを否定しているわけではない。むしろ自己表現や活動、参加の幅が広がり、生活の質の向上や生きがいに繋がる可能性があることから、こうした活動はどんどん進めていくべきだと考えている。

しかしながら、その定義や法律の方向性は「障害者」にスポットライトを当てようとするがために、本来の障害者アートやノーマライゼーションからかけ離れているようにみえる。

そのように感じられるのには大きく3つの原因がある。

 

原因1:そもそも日本にアートの文化が定着していない

 

では日本でアーティストが食べていくのが難しいのは何故でしょう。
それは、『日本の生活にアート(美術)が根付いていない』ことが大きな要因だと思います。

そして根付いていないところに「アートはすごい」という触れ込みでメディアが騒ぎ立てることで、人々はそのイベントに行っても心に浸透することなく、上辺だけの騒ぎで終わってしまっています。

アートの価値観が押し付けられ、その押し付けに意見することもできず、価値観だけが一人歩きしているのです。

 

www.islog.jp

 

そもそも日本にアートを創造する・楽しむ文化が世間一般に広く浸透しているのだろうか。

2018年に発表されたアート市場の規模を見てみると、アメリカは2.84兆円、中国は1.42兆円、イギリスは1.35兆円に対し、日本は2437億円と大きな差があるのである。

ポジティブに捉えれば、日本のアート市場はまだ発展の余地があると言える。一方、その市場規模からもアートを受け入れる文化がまだ浸透していないことは言うまでもない。

アートで生計を立てていくことが難しい中で、障害者アートのみを切り取って推進していくことが、果たして合理的なのだろうか

これは、荒れ地で育てる作物の品種改良を行っているように感じる。まずは、アート市場とという土壌を育てなければ、いくら推進法施行という品種改良を行っても、障害者アートの普及という作物は育たないのではないか。

 

原因2:「障害者アートのみ」の普及はありえない

前述したように、日本のアート市場の規模は大きいとは言い難い。もし障害者アートの普及を推進するのであれば、前提としてアートそのものの普及と市場規模の拡大を図ることが必要である。しかし、障害者文化芸術活動推進法はその名の通り、「障害者」を対象として限定しているのだ。

この状況は、

①小さい市場規模の中で「障害者アート」を推進し、アート市場中でも「障害者アート」の比率を高めていくこと

②障害者アートを現在のアート市場とは別物と捉え推進を図っていくこと

以上①、②いずれかに繋がる可能性が高い。

①は、言ってみれば現在のアート市場にいる方々のパイを障害者アートで奪う形を作り、最終的にはアート市場自体の破綻を招く恐れもある。

②は、「障害者が作ったものだから買う」という思想に基づく推進であり、アート自体と何ら関係ないものと化す恐れがある。

以上のことから私は、障害者文化芸術活動推進法によって障害者アートを推進する前に、また推進すると同時に、障害者に限定しないアートそのものの推進を図ることが非常に重要であると感じている。

また、そのような取り組みの中でアートが評価される文化が培われて初めて、「障害者アート」というジャンルの個性が光るようになると考えている。

つまり、「アート市場全体の発展を見込まない障害者アートの発展はありえない」というのが私の意見である。

 

原因3:障害者アートというジャンルの押しつけ

 

 そもそもアートとは、個人の価値の違いが前提にあり、その違いを表現することで作品が生まれ、その作品を受け取ることで評価される。その個人の価値のやりとりのなかに、「障害者」という言葉は必要なのだろうか。

アートを創造する・楽しむことは誰しも平等であり、そこに「障害者だから」という位置づけは無意味である。しかし、障害者文化芸術推進法によって、国は「障害者アート」というジャンルを意図的に生み出し、個人の価値を主とするアートの世界に「価値の押しつけ」を生み出そうとしている。果たして、これが障がいを抱える方々が望むノーマライゼーションなのだろうか。

海外には、障害者アートを含む概念である「アウトサイダーアート」というものが存在する。しかし、アウトサイダーアートは絵画の訓練や教育を受けなかった方が創造したものを指す言葉であり、障害者アートはその中の一部なのである。

日本では障害者アートをアウトサイダーアートと同義として捉える風潮があるが、誤用である。

障害者アートという捉え方そのものが、障害者を特別視させるものであってノーマライゼーションの理念から離れるものだとは言えないだろうか

 

障害者のアート活動を否定しているわけではない

障害者文化芸術活動促進法が東京オリンピック・パラリンピックに向けた場当たり的な法律であるというのであれば、その法律成立の背景に納得できる。

しかし、アートはオリンピック・パラリンピックのためにあるものではないことに留意してほしい。

真に求められるのは、東京オリンピック・パラリンピック以降も継続的に障がいを抱える方々を含めた希望ある活動の一つとしてアートを推進していくことであって、「障害者」を国を挙げたノーマライゼーションのアピールに利用することではない

むしろ、ノーマライゼーションなど世界では標準的な理念であって、そこをキャッチアップする日本は時代遅れであることを認識すべきである。