結局福祉ってよく分かんねぇや

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福祉レポート~社会福祉原論(創成期から高度経済成長)

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課題の概要

日本の社会福祉の歴史について(近代国家形成から高度経済成長まで)

 

解答

 日本では、明治維新を契機として封建社会が崩壊し、資本主義社会が本格的に形成されることから、これ以降を近代国家形成期と言うことができる。

 当時の日本において、以前の封建社会の中で発生した貧困に加え、資本主義社会の形成によって生まれた労働者の貧困が社会問題となった。この社会情勢を背景として、日本で初めて成立した救済制度が恤救規則である。

 恤救規則は1974年(明治9年)に、誰の助けも期待できない困窮者に限り、公費で救済する制度として成立した。しかし、この規則において、貧困状態にあるものは血縁・地縁関係などによる相互扶助によって救済されることを前提としており、あくまで貧困を個人問題として捉え、制限的救済を行うものであった。

 このように貧困が社会問題となってもなお、公的な救貧制度は未整備であり、それを補うために民間の宗教家や篤志家が慈善活動を展開するようになった。1887年(明治20年)に石井十次が岡山孤児院を設立した他、不良化した少年たちの教育を目的として留岡幸助が設立した家庭学校、幼稚園を貧困の家庭の子弟教育にまで拡大することを目的に野口幽香と森島美根が設立した二葉幼稚園、イギリス型のセツルメントを模して設立した片山潜のキングスレー館などが、その代表として挙げられる。

 以上のように民間の慈善活動が展開する中、日露戦争以降に家族国家観の浸透を目指した感化救済事業の推進を背景として、1900(明治33)年に感化法が制定され、非行少年の教育保護が図られるようになった。この感化法により不良少年、犯罪少年、親による懲罰として懲戒場に入れられる少年などの処遇機関として感化院が設置された。これが我が国で法律上位置づけられた最初の社会福祉事業であった。

 この後1910年代から1920年代にかけて、我が国の社会事業が形成されるに至る。これは、物価上昇を契機とした米騒動や1923年(大正12年)に発生した関東大震災、そして、第一次世界大戦以降の社会不安などに起因する困窮問題が深刻化したことで、貧困認識の社会的転換が必要になったことが背景となっている。

 1917年(大正6年)には、内務省に救護課が設置され、その後社会課への改称、社会局の設置へ発展し、社会事業の社会化が図られた。また、1917年(大正6年)に岡山県において制度化された済世顧問制度と、それを前身とする方面委員制度の成立によって、社会事業の組織化が図られた。その他に、1918年(大正7年)の宗教大学社会事業研究室、1921年(大正10年)の東洋大学社会福祉事業科、日本女子大学校社会事業部の開設に見えるように、社会事業の専門化が図られるなどの要因から、我が国において社会事業が成立するに至った。

 1929年(昭和4年)には、先述の社会不安に加え、アメリカに始まった世界大恐慌の影響により、失業者の増大を招いたことを背景として、救護法が制定された。救護法は、公的扶助義務主義の立場をとったこと、医療・助産・生業扶助など扶助内容を拡大したことで、恤救規則とは異なる。一方で、労働力のある貧民を救護の対象から除外し、要救護者による請求権は認めないとした権利の存在しない国家責任という点で、大きな変化はなかったということができる。

 1930年代に入り、民間部門を中心とする社会事業の運動を背景として、1938(昭和13)年に社会事業法が制定された。しかしながら、社会事業法は戦時下における国策に沿った統制的な面が強いものであった。後に成立する国民健康保険法、母子保護法、医療保護法などの当時の社会事業も、戦争遂行のための人的資源の確保と健民健兵政策の強化が目的の戦時厚生事業であった。

 第二次世界大戦終戦後の日本の社会福祉は、終戦から1957(昭和32)年4月まで日本を統治したGHQの指導に影響を受けつつ変化することになる。生活保護法、児童福祉法、身体障害者福祉法の成立による福祉三法体制の確立と社会福祉事業法の成立、社会保障制度審議会が吉田茂首相に行った社会保障制度に関する勧告などは、戦後の社会福祉変遷の特徴ということができる。

 1955年(昭和30年)頃から始まった高度経済成長の中で、日本は都市化・核家族化の進行や相互扶助を基盤とした地域社会の変容などの社会構造の変化を迎えた。また、企業規模間の賃金格差や公害問題、高齢化問題などの新たな社会問題も発生した。

 このような社会変化の中で、低所得者層の医療保険の未加入などの貧困による医療問題解決を目的とした国民健康保険法、そして労働者の老後の経済問題への対応を目的とした国民健康保険法が法制化され、国民皆保険・皆年金体制が確立するに至った。

 また、18歳以上の知的障害者への法的援助を可能にした精神薄弱者福祉法、高度経済成長の進展とともに表面化した高齢化問題への対応を目的とした老人福祉法、母子家庭の経済的問題のみならず児童の健全な育成を視野に入れた母子福祉法がそれぞれ成立し、先に成立した福祉三法を含めた福祉六法体制が確立されたのである。

 1959年(昭和34年)に、児童の権利に関する宣言が国際連合で採択された。これに対し中央児童福祉審議会は次々と答申を提出し、経済成長を支える労働力の確保という観点から人口の資質向上対策を掲げた。このことを背景に、母子保健施策の拡充が始まり、1965年(昭和40年)に母子保健法が、1971年(昭和46年)に児童手当法が制定された。さらに、労働災害、公害や薬害の影響で障害をもつ人が増加したことを背景として1970年(昭和45年)に障害者の総合的な福祉施策を定めた心身障害者対策基本法が成立するに至った。

 その他にも、将来の社会構造の変化を踏まえ社会福祉施設の需要に対応すべく、社会福祉施設の重点的かつ計画的整備を図ることを目的とした、社会福祉施設緊急整備5か年計画が1970年(昭和45年)策定された。また、1973年(昭和48年)には、政府が「活力ある福祉社会の実現」を目的とした経済社会基本計画を作成し、同年の予算編成をするにあたり、「福祉元年」を宣言するに至った。しかしながら、同年10月に起こった第一次オイルショックにより、高度経済成長は終焉に向かった。

 

感想など

大学入りたての頃に作成したレポートです。こういった歴史を問うものは、テキストからまとめいるので、全くオリジナリティなし。恤救規則は福祉関係の歴史を問うレポートで頻出なので要チェック。