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支援に怒りは必要ない! そう断言できるたった1つの理由

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今日は、支援に怒りが必要かどうかについて話したいと思います。

かなり、個人的な見解です。「それは違う!」と思う方がいらっしゃったら、どんどんコメントいただけると幸いです。勉強になります。

 

「怒り」とは?

いかり【怒り】:いかること。おこること。腹立ち。立腹。

(大辞林第三版)

おこる【怒る】:不満・不快なことがあって、我慢できない気持ちを表す。腹を立てる。

(デジタル大辞泉)

 

「怒り」とは、辞書によれば不満や不快なことがあって、我慢できずに腹を立ててしまうことらしい。

実は、「怒り」は二次感情と呼ばれる特徴があります。怒りの背景には、落胆や心配、悲しみ、寂しさ、傷つき等のマイナスな感情が背景にあります。これらの一次感情を背景に、「怒り」は生まれるのです。

ということは、怒りは一次感情によって「作り上げられる」感情ということになります。特に、目的論を強調するアドラー心理学においては、「怒りは人為的な感情」とされていて、一次感情を経て生まれる「相手を支配したい、または屈服させたい」という思いから発生しているとしています。

つまり、「怒り」は「相手を支配し、屈服させ、自分に同意・同調させようとするために発生する感情」なのです。

 

参考URL:アドラー心理学における「怒り」と「目的」の関係とは? | ユリスのお部屋

 

 

 

「怒り」と支援

では、怒りが支援に必要となる場面はどんな場合でしょう。

結果的に言うと、私には怒りが必要になる場面が見つかりませんでした

「悪いことを、正しくないことをしたら怒らなくていいのかよ!」と思った方もいるでしょう。それでも、私は怒りは必要ないと思っています。よく、「怒りではなく叱ることは必要」との声も聴きますが、私は叱ることも支援者の役目ではないと思っています。

 

「怒る」と「叱る」の違いと必要性

よく言われる「怒る」と「叱る」の違いは、その目的に相手のことを考慮しているか否かという点にあります。

「怒る」は自分の二次感情の表現であって、先述した通り相手を自分の言うとおりにしたい、屈服させたいという思いが目的としてあります。一方で「叱る」の目的は、相手の言動を指摘し、正しい言動に導くことです。

つまり、相手の感情を加味しない「怒る」という行為は、当事者主体を目的とする福祉になじまない考え方なのです。一方で「叱る」ことはどうでしょうか?

「叱る」という行為について、私は、親と子、上司と部下、先生と生徒といった「価値の構築を踏まえた教育的関係」で成り立つものだと考えます。障害福祉サービスが措置制度の下にあった時代には、支援者が「先生」と呼ばれることもありました。しかしながら、今は当事者と支援者は対等の立場であることが求められます。そこに価値の構築まで踏まえた教育的関係は存在しないのではないでしょうか。

以上のことから、「叱る」ことも支援者の役割ではないと考えています。

 

「不適切な行動があったら放っておけってこと」ではない

「じゃあ、不適切な行動があったら放っておけってことかよ!」—―そう思った方もいるかもしれません。

しかし、そういうことではありません。福祉専門職は「怒る」や「叱る」という行為を用いるのではなく、その言動の原因を探る必要があると思います。そう、「原因にアプローチする」んです。これがいわゆる福祉専門職の専門性の一つでもあると私は思っています。

ソーシャルワークは、人と環境の相互作用の接点に介入します。原因を当事者の中ではなく、外に見出し、その原因に対処していくのです。逆に言えば、福祉専門職は「人と環境の相互作用の接点」に注目する技術を身につける必要があると言えるでしょう。

このことからも、当事者本人に働きかけて本人自身を変えようとする「怒り」だったり「叱る」行為は、福祉専門職に求められていないことがおわかりいただけると思います。

 

目の前で不適切な行動があったらどうするか

「怒るな」「叱るな」って、じゃあ目の前で不適切な行動があったらどうするんだよ!・・・と思いますよね。はい、ここまで書いて僕もそう思います。

でも、ちゃんと方法があるんです。「毅然とした態度で止める」「ダメな理由を説明し理解を促す」ということです。逆に言えば、不適切な行動を止めていいのは「なぜその行動が不適切なのか説明できる」支援者だけです。なぜって、なんとなく止めるのは「個人の価値」に基づくものだからです。客観的に見て誰しもが納得できる理由がある時にだけ止めてください。私は、ここにも支援者の資質が問われると思っています。

 

これはあくまでも支援者の役割の話で

ということで、支援者に怒りは必要ないと感じている立場の話をさせていただきました。皆さんは普段の支援の中で、当事者に怒り、自分自身の個人の価値を強要していませんか?というよりも、怒ることそのものが個人の価値を強要する自己中心的な行為なのかもしれませんね。

それが、結果当事者自身の自由を奪う行為であることを十分に自覚する必要があるのではないでしょうか。